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島根の教育に関わる仕事をしたい!
「ルーツしまね」とは、島根にゆかりのある大学生、若手社会人が島根と繋がり続けるために、一人ひとりにとっての最適で多様な関わりを提供する、学生を中心にしたコミュニティです。
「ルーツしまね」の生みの親である森山裕介さんにインタビューを行いました。
ー教育に関して非常にアツい思いを持って仕事に取り組んでいる森山さん。
これまでのキャリアを聞かせてください。
私は島根県出雲市で18年間育ち、東京の大学に進学しました。高校時代は部活のサッカーと家、塾を行き来する生活で、親と先生以外に人生の選択肢があるなんて知りませんでした。
憧れていた東京の大学にとりあえず進学すると、起業したり世界一周したり、自ら学生団体を立ち上げたりしている人たちに出会いました。自ら主体的に人生の選択をする姿に衝撃を受け、これまで出会わなかった考え方や自由な生き方に触れ、働き方の選択肢の多様さに気づき、今まで自分はなんて狭い世界で生きてきたのだろうと、自分の人生を振り返りました。
高校までの段階で、多様な人生の選択肢を知ったり、かっこいい働き方をする大人に出会いたかったと思いました。その頃から、多様な学びの場である学校を起点に、様々な人が人生を語ったりできれば、若者の将来の選択肢を広げ、社会に希望が持てるようになるのでは、と考え始めました。
そんなとき、島根にUターンして活躍していた田中りえさん(現在、PF職員)をTwitterで知ります。連絡を取り、りえさんから島根で働く面白い大人たちを紹介してもらいました。島根にもこんなにかっこいい人はたくさんいると気づき、いつか島根で教育に関わる仕事をしたいと思うようになります。
大学を卒業後、東京で企業の組織・人材育成コンサルティング会社に勤め、企業の人材開発や組織開発を担当しました。人材育成をしていると、新人社員は大きな目標ややりたいこと(WILL) を多く持って入社してきていました。しかし、入社したばかりの新入社員のほとんどが、やらないといけない(MUST)の仕事をしていく中で、できること(CAN)を増やしていくわけですが、MUSTをして、CANを大きくする中で、だんだんとWILLが小さくなっていく若手の社員がたくさんいることを目の当たりにしました。一方で、同じ会社に入ってもMUSTをこなし、CANを増やして、会社から求められるパフォーマンスを出し、自らもWILLに近づいていくことができる人がいる、この違いはなんだろうと考え始めました。
色々な要因があると思いますが、社会に出るまでに、自ら考え、主体的に選択をする力を育んでいく必要があるのではと思いました。そして、原点に立ち返り、島根で教育の仕事をしたいと思い始めたとき、学生時代から関わっていたNPO法人が島根で事業を始めることを知りました。
そして2016年から、認定NPO法人カタリバに転職し、島根県雲南市の教育魅力化事業に加わります。雲南市は他の町と違い、市の中に3つの高校があります。チャレンジを応援する町とされ、人や資源が集まりやすいこの地域で、複数の高校をどのように魅力化していくか挑戦しようと決めました。雲南市では高校魅力化のマネージャーとして、市の教育政策の企画推進、高校のカリキュラム開発や高校生の探究活動の支援に取り組みました。
ーでは、なぜ認定NPO法人カタリバから現在のPFへ移られたのですか。
実際に高校の現場に入り感じたのは、自治体単位で魅力化を進めることも重要ですが、島根県という単位で仕組みをつくらなければ、本当の意味で高校魅力化にはならないと。また、島根の次の課題として、高校を卒業した若者たちが”帰ってきたい””帰ってこれる”島根をつくっていかなければいけないと思い、県単位で挑戦することの意味・意義を感じました。そして、県とタッグを組み、これから島根の未来をつくる人づくりや人の流れづくりと、若者が挑戦できる仕組みづくりに取組もうとしていたPFで、新しく挑戦したいと考えました。
PFという組織のリソースを活用して、個人では達成が難しいようなことも、様々なステークホルダーと共に挑み、島根県に政策を提案できたり、県と協力して実現させていくことに挑戦ができるのが魅力的な環境だと思っています。職員を中心に関わってもらうステークホルダーで、創りたい未来を共有し、事業をつくっていくのは大変なことも多いですけど、おもしろいですね。
▼島根で生きるという選択肢をつくりたい
ールーツしまねといった、大学生コミュニティはどのような思いで立ち上げたのですか。
島根なんて出てやると思って東京の大学に進学したら、外に出て初めて島根っていいところだったなーって思ったんです。東京で普通に過ごしてたら、島根の人なんて絶対出会えないので、SNSで募って、”島根県人会”を企画したんです。そしたら、東京在住の島根県民が50人くらい集まって、みんなすぐに仲良くなっていったんです。みんな帰る、帰らないは別として、島根と繋がりを持ちたいんだなーって思って色々活動してたら、仲間が増えていって、コミュニティが大きくなっていったんです。
そんな学生時代を過ごしていたので、帰ってきて改めて本気でそういうコミュニティをつくりたいと思いました。島根を離れても関わり続けるための繋がりと機会がつくっていけることを目指して、4年前から「ルーツしまね」という大学生・若手社会人のコミュニティづくりを進めています。
外へ出た最初は、誰しも心のどこかにふるさとへの思いがあると思っていて。私が東京へ出て、島根で当たり前のように過ごしていたことの価値に気づいたように、島根を離れた若者たちが、ここに将来の可能性を感じて欲しい。地元に帰る、帰らないという選択肢は自分で選べばいい。でも、都会にいても島根と関わり続けることや、島根でもおもしろく生きていけるという選択肢を増やして欲しいんです。
ここのメンバーは、島根という共通のアイデンティティを持っていて、学びたい人もいれば挑戦したい人もいる。誰かが挑戦するときは皆で応援し、失敗してもいいという雰囲気をつくりたいです。私が挑戦しているとき、りえさんに背中を押して貰ったように、次は私が下の世代に受け次いでいく番です。田坂日菜子さんをはじめとして、島根を盛り上げたいと活躍する若者たちが今、増えてきています。こうした担い手の数が増えていったとき、失敗しても大丈夫だという風に島根の雰囲気が変化すれば、もっと皆が挑戦しやすくなるのではないでしょうか。
▼やりたいことは変わりつづける
ーこれからどんな島根をつくっていきたいですか。
やはり気持ちは今も変わらず、地元を離れた若者が、ここに帰ってきて挑戦したいとか、未来に期待するような島根をつくりたいと思っています。
高校生対象のマイプロジェクトに関わる仕事をしていますが、マイプロジェクトのように挑戦するプロセスは、高校生だけに当てはまることではないと思っていて。大学生や社会人になっても、やりたいことに向かって動き、学んでいくことは、人生を通し大切なことだと思うんです。私も根本的な気持ちは変わっていませんが、目標を達成するための方法が変わったりと、20代のときとやりたいことが変わってきています。例えば、高校生や大学生を対象に仕組みづくりを手がけてきましたが、今は若者が大学を卒業して、帰る先の選択肢に島根が選ばれるためには、何が必要なのかと考えています。今は、ファーストキャリアでも島根で挑戦ができる、フルタイムじゃなくても、島根と関わりながら挑戦できるなど、新しい働き方も含めた仕組みを企業と一緒になってつくっていきたい想いがあります。PFに入って、新たにやりたいことや問いが芽生えてきていますね。
「これをやりたい」とはっきり言えることは、なんかかっこよく見えますが、言い切れる人の方が少ないし、大人だって悩むし、変わっていく。だから、そんなに焦らなくていいし、やりたいことなんてなくてもいい。とりあえず、やってみたいことを仮決めしてやってみる。行動してみて、振り返り、「次にやってみたいことは何か?」と自分に問い続け、生涯を通してやりたいことを更新していくプロセスこそが大事だと思います。
ライター
山根若菜
ルーツしまね四国のコアメンバーの山根若菜です。